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カテゴリー:歴史

2016年10月02日

徳川家臣団から嫌われた本多正信 家康からは信頼された智将

徳川家臣として家康の参謀として活躍した本多正信。今日は本多正信について解説していきます。

家康からの信頼が厚い本多正信

正信は幼少の頃から家康と付き合いがあり、お互いに同じ三河武士です。ただ、正信が5歳年上だったために、家康から見たら兄貴分のような存在になっていました。話によると、唯一、家康の寝室に帯刀したまま出入りを許された特別な存在だったようです。

一向一揆での出来事

正信は一向一揆で一向衆についたために、家康を裏切ることになりました。しかし、家康は一向一揆を鎮圧したために、正信は三河を出奔することになってしまいます。他国を回っていましたが、家康に嘆願することで三河に戻ることができました。
戦国時代では、裏切った武将は悲惨な末路が多い中、正信は家康から許されました。だからこそ正信は家康に忠誠を誓うようになります。

文治派の石田三成を認めていた

豊臣方ではあるものの、同じ文治派であった石田三成を正信は認めていました。史実では、関ヶ原の戦いが終わった後、三成の嫡男の重家を許すように家康に助言して重家を助けており、武断派との諍いがあった正信にとっては他人事ではなかった可能性があります。


本多正信は智将として有名ですが、徳川家臣団からは嫌われていました。知力よりも武勇に長けている武将が多い三河武士。多くの武将から嫌われていたのにも関わらず、家康に信頼されていたのは、知力と老獪さがあったから。
武勇ではなく、知力で家康を助け、老獪さで徳川家の危機を乗り切る。息子の正純は後々失脚しますが、家康を追うように死去した本多正信。有名武将には必ず知恵袋となる智将がいるということですね。



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posted by infosan5 at 02:40| Comment(0) | 歴史 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする